人と自分を比較して落ち込む…って割とよく聞く事だけど、これは本当に厄介で、下手すると何日も何週間も落ち込んでネガティブループにハマって抜け出せず、辛い思いをする…という経験をしてきた私。元々自己肯定感が高い方ではない為、もしかすると普通よりも多く、強く比較癖がついてしまっているのかもしれない(平均がどのくらいか測れないものだから分からないけど)。
そんな私も、ずっとこの比較癖を減らし、ゆくゆくは無くしていきたいなと思っていた。生まれも育ちも性格も体質も違う他人と自分を比べても何の意味も無いと思うからだ。一卵性双生児だってパーソナリティや好みに違いがあるのなら、赤の他人と比べて落ち込むって一体なんなの?って感じだ。ただ、頭で理解していても心は簡単に「はい!じゃあ比較やめます!」とはならないからもどかしい。
私にとって卑近な例で言うと、例えば自分より英語が出来る人に会った時。
以前なら、たとえその人が帰国子女であったり留学経験があり、過去に英語を学ぶ環境が整っていたから英語が上手いのだとしても、「あの人と比べて私はこれだけしか出来ない…」と(今思えば無駄に)落ち込んでいた。もしくは嫉妬したり。
料理好きな人、もしくは料理が上手い人に会った時。
私は料理が嫌いで、出来る事ならやりたくないと思っているのだが、母親として家族の健康を守り維持する意味でも料理は出来なくちゃな…とは思っている。でもあまり上手く出来ないのでコンプレックスを持っていて、そんな時に料理好きor料理のうまい女性に会うと、途端に「私ってなんてダメダメなんだ…」と思ってしまう。
他には、仕事やお金や容姿のこと。
自分と同年代の人が何か大きなことを成し遂げて有名になったり、仕事でたくさんお金を稼いでいたり、同年代の女性がモデルや俳優として輝かしい活躍をしていたり…といった事を目にすると、特に若い頃は、そういう人と自分を比べて「私は何も成し遂げてない、借金(ローン)はあるしモデルさんみたいにキラキラもしてない。あの人達にあるものを私は全部持ってない…なんで同じ人間なのにこんなに差があるんだろう」みたいな事を思っていた。それで、ファッション雑誌を見るのがすごく苦痛になったり…そんな人って他にいるんだろうか(笑)。
そんな風にことあるごとに人と自分を比べていた訳だけど、なんとなく、最近、
「あれ?自分いま他人のことをすごくフラットに見れるようになってきてるかも?」と気付いた。
「この人は英語がうまいな」
「この人は料理が好きなのか、そうか」
「この人は仕事で成功しているんだ、なるほど」
みたいな感じで、感情の振れ幅がかなり小さくなっているように感じる。
例えて言うなら、お菓子にはいろんな種類があって、見た目や味は人の好みで好き嫌いが分かれるけど、そのお菓子自体には優劣は無い…みたいな。
そんな事を、人間同士に置き換えて肚に落として考えられるようになってきた。
「なにをそんな当たり前のことを?」と思われる方もいらっしゃるかもしれないが、私にとってはこれは大きな変化で、もしかすると長年の比較癖からの脱却なのかな…!?と希望を抱いている。

そして、なぜ比較癖から脱却出来かかっているのかを考えてみた時、
「ひたすら自分と対話する」のを続けてきたからかな?と思った。
長年の癖は一朝一夕では抜けない。私は、自己肯定感を上げて自分の人生をもっと明るく楽しめるようにしたかったので、色々本を読んだり各種ブログやサイトなどにお邪魔して、何か良い方法はないか〜他の人はどうしているのか〜をず〜っと探ってきたのだが、最終的に、「自分の感情が動いた事について”なぜそう思ったのか?”を紙とペンを使って自問自答する」という方法が一番合っているように思った。
鴻上尚史のほがらか人生相談 息苦しい「世間」を楽に生きる処方箋 シリーズをKindleで読んでいたのだが、その中にもこんな記述があった。
ものすごく悲しい時は、「なぜ自分は悲しいんだろう」と考えることで、悲しみと距離が生まれて、感情から少し自由になれます。
感情、特にネガティブな感情についてこれをやると、なぜ自分がその感情になっているのか、根本的なところが見え隠れしてきて何かしら発見がある。私に関しては、こうあるべき〜みたいな理想像にしばられすぎていたり、その理想像と現実の自分が遠すぎてガッカリ→なんてダメなの自分→落ち込み→イライラor悲しみ…というサイクルが見えてきた。
で、自分の内面と向き合ったあとはしっかり自分を褒めること(笑)。
「いやいや、確かに理想からは遠いけど、でもコレとかアレとか頑張ってるし!自分も捨てたもんじゃないよ!」みたいな、労いの言葉をかける(書く)!!
これを継続する事で、少しずつ負のループから脱却出来つつある気がしている。
今アメリカにいて仕事をしておらず、職場等の人間関係に煩わされることもなく責任のある事も特にない、のほほんとした気楽な生活をさせてもらっているから、ここまで自分と向き合う事が出来たのだと思う。そう考えると、この稀有なチャンスを与えてもらえて本当にありがたいなぁ〜と感謝の念が湧いてくる。
もちろん一度比較癖から卒業できたとしても、帰国して仕事などし始めてまた忙しくなればこの癖も復活する可能性はある。でも一度ニュートラルな物の見方を身に付ける事が出来れば、再度の脱却は早いんじゃないかな。
それを祈る!
おっと、熱が入りすぎて今回は長い記事になってしまった。